格闘家

瓜田純士の若い頃がやばすぎ!生い立ちやバン仲村との関係も紹介!

ブレイキングダウンで一躍有名人となった瓜田純士さん。

瓜田純士さんは、アウトローのカリスマと呼ばれていたり、全身にタトゥーを入れていたりと普通の人生でないことはわかると思います。

瓜田純士さんには、どのような生い立ちがあるのか気になる方が多いと思います。

今回は、瓜田純士さんの生い立ちについて書いていきます。

瓜田純士のプロフィール

引用:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20221013-00367758-encount-000-2-view.jpg?pri=l&w=640&h=426&exp=10800

 

名前 瓜田 純士(うりた じゅんし)
生年月日 1979年12月4日(42歳)
出身地 東京都 新宿区 歌舞伎町
身長/体重 184cm/70kg

瓜田純士の生い立ち

瓜田純士さんはどのような人生を歩んできたのでしょうか。

瓜田純士さんの生い立ちについて書いていきます。

幼少期から中学校時代

瓜田純士さんは、1979年に歌舞伎町で生まれました。

小学校はどこに通っていたのかは不明ですが、素行が悪いことで有名だったそうです。

中学校は、新宿区立大久保中学校に進学しますが、手がつけられないほど素行が悪かったことから杉並区にある高南中学校に転校することになります。

この高南中学校で、関東連合という暴走族の主要メンバーに出会います。

この主要メンバーとは

  • 見立真一:「六本木クラブ襲撃事件」の主犯格(指名手配中)
  • 柴田大輔:「いびつな絆 関東連合の真実」の著者
  • 松嶋重:関東連合のナンバー2
  • 木村兄弟:関東連合と抗争を長期間行う

です。

瓜田純士さんは、見立真一らが東京の暴走族をまとめた「関東連合」を作った際に決別する決断をしています。

覚醒剤で逮捕された?

瓜田純士さんは、中学校を卒業後に高校へは進学せず、土建会社などで働きます。

しかし、会社務めも長くは続かず、桜成会長谷川組という暴力団に入ることになります。

この桜成会長谷川組で覚醒剤の売買で成果をあげて、若頭補佐になります。

その後、瓜田純士さんは、供攻社という揉め事や用心棒業などを請け負う組織を作ります。

暴力団の一員として活躍していましたが、組の上層部にボコボコにされたときに痛み止めとして初めて覚醒剤を使用してしまいます。

その覚醒剤使用後に銃刀法違反で逮捕されてしまったときに、体内から覚醒剤が発見され、懲役3年4ヶ月の実刑判決が下されます。

出所後作家・格闘家となる

覚醒剤取締法違反で逮捕されてしまった瓜田純士さんですが、刑務所内での文芸コンクールに「mother」という小説を出して、大賞を受賞します。

このことがきっかけで刑務所を出所した後は、作家を目指すようになります。

瓜田純士さんが出版した本がこちらです。

出版した年 タイトル
2008年 「ドブネズミのバラード」
2009年 「ピラニア〜雨の街、俺たちの絆〜」
2010年 「泥だらけのありがとう」
2014年 「遺書」

瓜田純士さんは、2008年に地下格闘技のアウトサイダーに出場し、格闘家としてもデビューします。

しかし、その後試合をすることはなく、2018年に再びアウトサイダーに出場しただけでした。

バン仲村と瓜田純士の関係

引用:https://i.ytimg.com/vi/YZtbJLrgumk/maxresdefault.jpg

 

ブレイキングダウン5のオーディションのときに出演したバン中村さんが瓜田純士さんと因縁があるようでした。

https://youtu.be/OjY_kBFqBOs

瓜田純士さんとバン中村さんは、どのような関係があったのでしょうか。

瓜田純士さんとバン中村さんの因縁とは2013年に起こった少女を監禁して性加害を加えた山梨甲府事件でした。

瓜田純士さんは、監禁されていた少女を守るためにバン中村さんにひたすら殴られていたそうです。

このような内容で報道されたのですが、事実とは異なる部分があるようです。

バン中村さんが瓜田純士さんをボコボコにしたことは事実のようですが、山梨甲府事件に関しては否定しています。

また、ブレイキングダウンに出たかった理由については、瓜田純士さんに謝りたかっただけのようです。

この動画を見た瓜田純士さんの動画がこちらです。

お互いに謝っているので、これから仲良くなる可能性が十分にあると思います。

二人共YouTubeに動画投稿をしているので、いずれコラボをすることがあるかもしれませんね。

まとめ

今回は、瓜田純士さんの生い立ちについて書いてきました。

瓜田純士さんは幼い頃から出所するまで、生粋の悪でした。

刑務所で小説を書かなければ、今もヤクザをしていたかもしれませんね。

現在は嫁や子供もいて、幸せに生活しているので、これからも道を踏み外すことなく生活していってほしいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。